論壇
IT化で導入される「標準的医療」のもたらすもの
川越市 時田信博
はじめに
レセプトのオンライン請求「義務化」にともなって従来の請求様式も見直しが検討されている。疾病名はICD-10の国際疾病分類にする必要がある。同時に治療もすべてコード化される。
わが国よりいち早く医療請求をIT化した韓国でもこのような請求様式が適用されている。ICD-10はWHOが一九九〇年に採択したもので現在はほぼ世界各国で疾病、死因の分類に使用されている。実際の保険診療の請求には米国のメディ・ケイドの他にカナダ、欧州、オーストラリア、ニュージーランドと中東の国々で適用されている。
わが国でもこの標準疾患名と治療のコード化はオンライン請求の時には遅かれ早かれ必然的に実施されることになる。国はこうしてIT化で得た膨大な診療データを集積し、統計分析を行うことで医療を管理するという狙いがある。
標準的医療の確立
まずレセプトのオンライン請求は一般的なPDFファイルでの電送ではなく厚労省が定めたCSV型式を使用する。これはデータの収集、分析に便利な様式である。疾患名はすべてICD-10にて統一され、検査、処置、治療もすべてコード番号を付けて入力する。
さらにオンライン請求ではレセプトの様式も従来のものではなく、新しい様式となる。記載事項がかなり増えている。疾病名ごとに診療日と検査、処置、投薬などの医療行為を記載するものとなっており、疾病名と医療行為の関連性(リンク付け)を示すことが要求される。これではまるで所見のないカルテのようなものである。
こうして得たレセプトを集積し、データ分析し活用することで疾患別にみた標準的な医療をそのコストを最も重要視して確立する。この標準的医療に適合しない医療機関には行政的な処置が課せられる。それは審査、指導などの形であろう。
診療指針や診療ガイドラインは本来専門医学会で作成されるものだが、米国ではマネジド・ケア組織も独自に発行している。その目的は診療を必要最低限に抑える方向に診療ガイドラインを作成し、医療費削減を図るためである。米国全土に展開するマネジド・ケア組織の膨大なデータを分析し、疾病ごとに標準的医療を設定する。時世に合わせて考慮した改訂を加えて診療指針を作成する。マネジド・ケアと契約している医師はこの診療指針に極力従うよう促される。反発する医師も少なくないが、支払いの遅延、契約の解除などの処置がとられる。
マネジド・ケアで働く医師はこのような標準医療の設定は医師の自主性、裁量を剥奪すると言う。また医療の進歩で、一年前には承認されていなかった治療や検査が現在ではEvidenceが確立されて正当なものとなっていても否定されてしまうことがしばしば起こると言う。
患者の自由意志や希望する医療の選択も困難になるそうである。ここでマネジド・ケア組織を厚労省と置き換えてみよう。医療の管理とその費用をコントロールするものにとっては標準医療の確立は大変都合のよい制度であることは間違いない。
医療標準化への危惧
わが国の医療が国際疾病分類による疾患の統一、検査、手術などのコード化で他国と同様な形態で画一化されるためその内容もグローバルに共通したものになる。そして、時間とともに十分なデータさえ集積すれば標準的な医療が確立される。
わが国には医療保険の民営化を推し進めているグループがある。一方、アメリカの保険会社は以前から虎視眈々と日本への参入の機会を狙っていた。日本の医療のIT化で保険診療の内容へのアクセスが容易になることで米国のマネジド・ケア組織などは今が好機と視て積極的に進出してくる可能性が大きくなっている。
これに加えて、現在提案されている社会保障カードが導入されれば、個人の年金、保険などの詳細も同時に国に管理されてしまう。これもアメリカの企業にとっては更に恵まれたチャンスの到来となる。
現在のわが国の医療組織が混乱状態にあり、深刻な経済不況のさなか、国が保険負担に耐えられなくなれば、全部でなくとも、かなりの部分の医療保険を民間に譲渡することは十分あり得る。その時は市場原理に基づいた医療保険になることは必至である。
2009年5月5日埼玉保険医新聞掲載