論壇
精神科をめぐる最近の話題
富士見市 里村 淳
ここ十年、精神科医療には著しい変化がみられる。自殺者の増加、精神科診療所の開設ラッシュ、新たな病態の出現など、これらの現象の背景には社会の大きな変化があり、それは人々のこころの変化となって現れている。
かつて、精神科と言えば医療の中では特殊な世界にみられる傾向があったが、今日ではどこでも気軽に利用できるクリニックがあり、精神科の敷居が低くなったといわれている。しかしよくみると、たしかに敷居は低くなったが、別の入口ができたといってもよい。精神科病院の外来に通院していた人がクリニックに通院するようになったのではなく、あらたな患者群が出現し精神科ではなく「心療内科」を標榜するクリニックに集まるようになったからである。心療内科は今日では精神科の代名詞となっている。
うつ病の世界では、内因性うつ病といわれる伝統疾患は今日では古典的な病態となり、以前はみられなかった軽症の抑うつ病態が主流になっている。軽症化はうつ病だけでなく、精神疾患全体におよんでいる。軽症化はかならずしも治しやすいと限らず、疾病の背景にパーソナリティの問題が潜んでいる場合が多く、その場合むしろ慢性化、難治化が伴う。軽症化はますます進み、最近では、病気のレベルには達してない「未病」といってよいようなレベルの患者も増えつつある。これらの流れに平行して現れたものに、新規抗うつ薬がある。約十年前、それまでの三環系抗うつ薬に代わって、SSRI、SNRIなどに代表される、いわゆる新規抗うつ薬がわが国で相次いで発売され、現在六種類にのぼる。SSRIなどは抗うつ効果と並んで独特の抗不安効果もあり、うつ病、不安障害の増加に伴い、その使用量は爆発的に増え、今日では一大マーケットを形成している。しかも、どれもが従来のものに比べて高薬価であり、精神科医療費の高騰にもつながり、厚労省はその対策にやっきになっている。
さらに、新たな病態と言われるものの中に、「過量服薬」といわれる衝動行為がある。これは、不快な感情から逃避する目的で、処方されたくすりを五〇錠、一〇〇錠単位で服用し、つよい意識障害に陥り救急外来に運び込まれるものをいうが、リピーターが多く、処方する精神科医がひんしゅくを買うことが多い。過量服薬とならんで自傷行為、過食もそうであるが、精神科の世界では今日避けられない現象と認識されているが、一般にはまだ理解は十分にいきわたってない。マスコミは、過量服薬の元凶は処方する精神科医であり、「患者の自殺を手助けしている」との報道がなされたが、過量服薬と自殺はいちおう別のものである。過量服薬の目的はたんなる衝動行為であったり、自殺目的であったりするが、本人もそのどちらかわからないこともあり、どちらでもよかったという人もめずらしくない。たしかに過量服薬は救急外来をにぎわしているが、過量服薬での自殺既遂となると、クリニックに通院している患者の自殺既遂者全体の一割に過ぎないことが埼玉県の精神科診療所協会の調査からわかっている。過量服薬する人は多いが、過量服薬する人が自殺既遂するときは必ずしも過量服薬とは限らず、その手段はやはり縊首が多いのである。新規抗うつ薬とならんで、睡眠薬も過量服薬の材料になっており、睡眠薬の場合はさらに闇の世界で売買されているという実態もある。現在の医療制度のもとでは複数の医療機関から同じくすりを処方してもらうことはわけないことであり、制度の盲点をつくかたちとなっている。
他に精神科医療の世界での話題と言えば、銃砲刀剣類所持等取締法の改正で、申請に必要な診断書が以前は何科の医師でもよかったのが精神保健指定医に限られるようになったことがある。精神科医が診ればいつでも正しい診断書が書けるかというと、精神科医自身、複雑な気持ちになる。しかし、今後、精神科医がさらに社会的な責任を担っていけるような制度と自覚をつくりあげている必要があるのではないか。
2010年9月5日埼玉保険医新聞掲載