論壇
大震災PTSDと心的外傷後成長
富士見市 里村 淳
東日本大震災から四カ月が経とうとしている。地震、津波という天災に加え、原発事故という人災が加わり、これまで我が国が経験したことのない国難が続いている。もともと日本は災害の国といわれ、大地震をはじめ、これまでおおくの自然災害を経験してきた。阪神淡路大震災は記憶に新しい。しかし、今回の震災は被害の質や規模において歴史的なものであることはいうまでもないが、それだけでなく、人のこころにもそれまでにない変化をもたらしているようだ。災害救助や支援にはいち早く多くの人が駆けつけた。陸海空の自衛隊、消防隊、警察官、各国の救援隊、その他民間のボランティアも含め多くの人が被災地に赴いたが、みな共通したこころの体験をしている。完全に破壊された町と果てしなく続くがれきの山を目のあたりにして、その光景に圧倒され「ことばを失う」のである。ある種の無力感が言葉を封じてしまうのだろうか。そして、皆一様に、途方もない悲しみに襲われる。この無力感と悲しみは何なのか。とくに遺体捜索の任務にあたった人たちは職場に戻っても無言の人が多いようだ。同僚から被災地の様子を尋ねられても黙して語らないという。救助に当たった人たちにとってもおおきな衝撃だったようだ。なかには心療内科を訪れる人もいる。家や家族を失った被災者に十分なことができず帰還してしまったと、自責の念にかられている救助隊員もいる。
被災者の中には災害によって受けたこころの問題―なかにはPTSDとなる人も―を抱えている人が多いが、災害救助の活動に当たった人たちもこころに大きなダメージを受けた人が少なくないのである。民間のボランティアの中にはNPO団体が用意したバスに乗り込んで、へどろの撤去作業に奉仕する若者が後をたたない。ボランティアの精神というより、ある種の義侠心にかられて東北にはせ参じているような感がある。阪神淡路がボランティア元年といわれているが、今回のような、被災地への深い共感から起ってくる支援活動はこれまであまりみたことがない。
「大災害は人間を原点に戻す」作用があるという。飽食、ものあまり、平和ボケの人間を、人間本来の在り方に目覚めさせるというのである。震災直後、このような大災害があったことがかえってよかったような発言をしてひんしゅくをかった政治家がいたが、言い方を間違えると誤解を招く。九・一一後のニュースでは一時パニック状態になったが、その後結婚する人が増えたという。
阪神淡路を経験した子供たちの中には既に成人した人が多い。たくましい人が多いという。これからの社会を背負っていく人間として頼もしい存在となっているらしい。東北の子供の中には家族を失って悲しみのきわみにある子どもも少なくないが、阪神淡路の例を踏まえると、やはりたくましく育って、将来、社会を背負ってたつ人間になることを期待している人も既にいる。津波で町や人が流されていくのを目のあたりにした子どもの中には、それがこころの傷となっていることも少なくないと思われるが、それを乗り越えて育っていくことを願う。最近は、こころに傷を負った経験のある人がその後成長を遂げていくことを「外傷後成長P T G (posttraumaticgrowth)」と呼ぶことがある。
精神療法の世界では、成長に伴うこころの問題をかかえ困難な精神生活を余儀なくされた人が、その後著しい成長を遂げることがあることは昔からよく知られている。
心的外傷という概念は比較的あたらしいものであるが、震災による恐怖体験、喪失体験を克服したひとが、その後著しい成長を遂げることがあるとしても、以上のことから十分理解できることである。一日も早い復興を祈る。