論壇
黄昏期の経管栄養を考える
─「胃瘻造設で解決」は、やめたい
久喜市 青木 博美
死ねない現代
脳卒中で寝たきりになって、多発性脳梗塞で嚥下障害が起こり、自分で食事をとることができなくなってしまった。昔であったなら、食べられなくなったら、間もなく死が来ただろう。
しかし現代は、静脈栄養、経管栄養で栄養を投与できる。経管栄養も、経鼻経管栄養に加えて、内視鏡的瘻孔造設が発展した。最も一般的に行われる胃瘻造設法、胃切除後の場合には空腸瘻造設法、腹部に瘻孔造設ができない場合は食道瘻造設法など、いずれも手技は難しいものではなくなり、「食べられなくなったら死」ではない時代になってしまった。
そして今は食べられなくなったからと胃瘻増設を依頼されることが多く、あまりにも安易に行われるようになったと感じている。
患者の気持ち
年をとって、食べることができなくなった時、自分であれば安らかな死を迎えたい。知人や家族たちと適当に別れができればなお良いと思う。だが回復に望みをつなぐかもしれないし、もう少しと思うかもしれない。気持ちは揺れるものだろう。
家族の気持ち
家族の気持ちはなお揺れるだろう。管(くだ)によって生き続けるのはかわいそうと思ったり、食べないのに点滴もしない栄養も与えないのは何か見捨てるようで、何かをしたいと思うだろう。
二つのケース
七六歳男性:認知症で精神科へ入院。会話は成立しない。誤嚥性肺炎を繰り返し、服薬も十分できない衰弱進行のため胃瘻造設を依頼される。家族は、必ずしも胃瘻を作ることに賛成ではなかったが、精神科で勧められたため同意した。胃瘻造設後、精神科へ帰ったが数カ月して誤嚥性肺炎で再度紹介入院。入院後肺炎のため死亡。
八〇歳女性:認知症。食事をしなくなってしまった。嚥下をしない。たまには飲み込むため、娘が鼻をつまんだりして無理矢理食べさせていた。娘は胃瘻を作りたくないという考えだったが、放置することもできず胃瘻造設を行った。胃瘻造設後は顔色も良くなり、たまにはカラオケに合わせて歌う。お母さんが好きで、少しでも長くこの世にいて欲しい娘としては、胃瘻を作って良かったと思っている。
胃瘻造設を行って良かったと感じる場合もあるし、行わない方が良かったと感じる場合もある。
死の段取りをつけることは実は難しい
死がそう先ではないことはわかるが、いつなのかを予測することは難しい。いつなのかがわからないので段取りをつけることも、また難しい。元気な時に望んでいた尊厳死が、死が近くなってからの気持ちにそぐわないかもしれない。
様々なクロージングで良しとするその人に合った終わり方
では、どうすべきなのか。患者さんが自身の考えを表明できれば、その考えに添い、表明できない場合は、元気な時の考えを尊重する。
穏やかな終わりを迎えられるように計らい、その人であったらどう考えるだろうかを想像する。
その人は自分のためだけに生きてきたのではないのかもしれない。家族のために生きてきたように、死んでいく時も、家族に辛い思いをさせないで死んでいきたいと思っているかもしれない。
死はその人の生物としての死だけではなく、家族を含めた一つの時の流れ。いろんな人がいて、いろんな人生がある。また死もいろんな形があって良いだろう。
ただ、嚥下できなくなったから、施設にいるのに都合が悪いから、即、胃瘻造設を行う。胃瘻造設をして解決ということは、やめたい。