論壇
「自殺者15年ぶり3万人割る」 精神科医療現場での自殺予防の難しさと課題
富士見市 里村 淳
一九九八年以来毎年三万人以上続いていた自殺者は、二〇一二年に十五年ぶりに三万人を割った。埼玉県の自殺率は決して高いとは言えないが、同様に減少した。この現象がさらに続くものかどうかはまだわからない。二〇〇六年の自殺予防基本法の制定により、「各地の自治体や関連団体を中心に行われていた自殺予防活動にやっと成果がみられるようになった」との見方もあるが、これもまだ検討を要することである。
自殺の背景には不景気をまず挙げることができるが、景気はまだ回復基調にあるとはいえない。自殺の動機については、健康、経済、家庭の問題が三大要因としてあげられているが、健康問題については精神疾患とりわけうつ病に罹患している人の自殺が重視されている。
そこで、うつ病の早期発見、早期治療が自殺予防対策の目玉とされてきたが、精神科医療の現場では疑問を覚える人も少なくない。自殺予防は社会的に大きな問題であるが、精神科医療では自殺者数の増減に関係なく重要課題なのである。
しかし、精神科医療の現場で自殺予防対策が念入りに行われているかというと、そうとはいえない。身体疾患で死亡した場合、病理解剖が行われ、その結果は医学の進歩に大きく貢献してきたことは否めない。それでは精神疾患での自殺はどうかといえば、病理解剖に当たるものはない。「心理学的解剖」というのを最近よく聞くが、それはあくまで遺族を中心に聞き取り調査をおこなったもので、自殺者そのものではない。
精神科医にとって自分が診ていた患者が自殺することは大変なショックであり、早く忘れたいと思うことも少なくない。なぜ自殺したのかを検討するということはあまりないのである。これでは患者の死が何も生かされず、いくら経験を重ねても進歩はないのは言うまでもない。
埼玉県の精神科診療所が組織する埼玉精神神経科診療所協会(埼精診)では、自殺の問題に正面から向かい合うため、会員クリニックでの自殺例を報告してもらい、それを分析、症例検討会を行って、会員の間で自殺例を共有し、症例から学ぶという方法をとっている。その結果、これまで定説とされてきたことを覆す事実が明らかとなってきた。
それについては既に発表してあるので詳細は省くが、そもそも医療の現場、特に精神科における患者の自殺の位置づけがはっきりしない。医療過誤なのか、医療を超えた問題であるのか。このような、自殺の不安定な位置づけをいつまでも放置することがよいのか。「医師と患者の信頼関係がしっかりしていれば自殺は防げる」などというのは、「名医ならどんな病気でも治せる」といっているのと同じである。相思相愛の夫婦でも相手に何もいわず自殺し、残された方が今までの関係はなんだったのかと呆然とすることは珍しくない。
自殺というとすぐうつ病といわれるが、重いうつ病の罪業妄想、強い焦燥感だけで自殺する人はそれほど多くはなく、ほとんどは経済問題、生活上のいきづまり、あるいは精神生活に限界を感じた人の自殺が主である。また、精神科医が薬をどんどん出して、過量服薬で自殺する人が急増していると言った報道があったが、それも間違いであることもわかった。外来に通院している人の自殺は最終受診から一週間以内がもっとも多い(三八%)こともわかった。
そのため、自殺のリスクが非常に高い人への診察の間隔は、一週間は長すぎるといえるが、診察の間隔を狭めることがどれだけの効果があるのかはまだ不明である。
そもそも自殺とは遺族にとっても「まさか」の体験であり、それは精神疾患患者の自殺でも同様である。自殺の知らせを受けて「まさか」と叫んだ精神科医は実に多い。自殺のリスクの高いと思っていた人が自殺するとは限らないのである。
自殺予防の難しさがこの辺にあり、精神科医療の現場で自殺予防に取り組む者にとって大きな課題である。
自殺の背景には不景気をまず挙げることができるが、景気はまだ回復基調にあるとはいえない。自殺の動機については、健康、経済、家庭の問題が三大要因としてあげられているが、健康問題については精神疾患とりわけうつ病に罹患している人の自殺が重視されている。
そこで、うつ病の早期発見、早期治療が自殺予防対策の目玉とされてきたが、精神科医療の現場では疑問を覚える人も少なくない。自殺予防は社会的に大きな問題であるが、精神科医療では自殺者数の増減に関係なく重要課題なのである。
しかし、精神科医療の現場で自殺予防対策が念入りに行われているかというと、そうとはいえない。身体疾患で死亡した場合、病理解剖が行われ、その結果は医学の進歩に大きく貢献してきたことは否めない。それでは精神疾患での自殺はどうかといえば、病理解剖に当たるものはない。「心理学的解剖」というのを最近よく聞くが、それはあくまで遺族を中心に聞き取り調査をおこなったもので、自殺者そのものではない。
精神科医にとって自分が診ていた患者が自殺することは大変なショックであり、早く忘れたいと思うことも少なくない。なぜ自殺したのかを検討するということはあまりないのである。これでは患者の死が何も生かされず、いくら経験を重ねても進歩はないのは言うまでもない。
埼玉県の精神科診療所が組織する埼玉精神神経科診療所協会(埼精診)では、自殺の問題に正面から向かい合うため、会員クリニックでの自殺例を報告してもらい、それを分析、症例検討会を行って、会員の間で自殺例を共有し、症例から学ぶという方法をとっている。その結果、これまで定説とされてきたことを覆す事実が明らかとなってきた。
それについては既に発表してあるので詳細は省くが、そもそも医療の現場、特に精神科における患者の自殺の位置づけがはっきりしない。医療過誤なのか、医療を超えた問題であるのか。このような、自殺の不安定な位置づけをいつまでも放置することがよいのか。「医師と患者の信頼関係がしっかりしていれば自殺は防げる」などというのは、「名医ならどんな病気でも治せる」といっているのと同じである。相思相愛の夫婦でも相手に何もいわず自殺し、残された方が今までの関係はなんだったのかと呆然とすることは珍しくない。
自殺というとすぐうつ病といわれるが、重いうつ病の罪業妄想、強い焦燥感だけで自殺する人はそれほど多くはなく、ほとんどは経済問題、生活上のいきづまり、あるいは精神生活に限界を感じた人の自殺が主である。また、精神科医が薬をどんどん出して、過量服薬で自殺する人が急増していると言った報道があったが、それも間違いであることもわかった。外来に通院している人の自殺は最終受診から一週間以内がもっとも多い(三八%)こともわかった。
そのため、自殺のリスクが非常に高い人への診察の間隔は、一週間は長すぎるといえるが、診察の間隔を狭めることがどれだけの効果があるのかはまだ不明である。
そもそも自殺とは遺族にとっても「まさか」の体験であり、それは精神疾患患者の自殺でも同様である。自殺の知らせを受けて「まさか」と叫んだ精神科医は実に多い。自殺のリスクの高いと思っていた人が自殺するとは限らないのである。
自殺予防の難しさがこの辺にあり、精神科医療の現場で自殺予防に取り組む者にとって大きな課題である。