論壇
認知症者が安心して暮らせる社会の構築をめざして
戸田市 福田 純
2007年12月、愛知県内で認知症者(当時91歳)が自宅で妻(同85歳)が少し目を離した隙に徘徊。列車にはねられ死亡した事故において、JR東海が列車を遅延させ、代替輸送などにかかった経費として監督義務者である家族に「注意義務を怠った」として約720万円の損害賠償を請求した訴訟の上告審判決が今年3月1日、最高裁より出された。
この判決が何より注目を集めたのは今現在、認知症に携わり日々苦難を体験されている多くの介護・看護の方々ばかりでなく、団塊世代がすべてが75歳を迎える超高齢者社会に突入する9年後の2025年には、高齢者の5人に1人、約700万人に達すると推計される認知症者の対応に多大な影響がでると考えられたからであった。
民法714条には「判断能力の乏しい認知症者など責任能力のない者が第三者に損害を加えた場合、監督義務者が賠償責任を負う。」と規定し〝被害者救済〟に重きを置いている。これを受けて一審の名古屋地裁では、同居している妻(要介護1)と別居しながらも積極的に介護にかかわっていた長男に対し「監督義務を怠った」と認定し、全額賠償を命じた。これに続く二審の名古屋高裁では、妻のみに監督義務を認め、半額の賠償を命じている。これら二つの判決を受け介護現場には「認知症の高齢者は監禁しておけと言うのか!」や「在宅介護は成り立たない」など、大きな衝撃が広がった。認知症者といえども、監禁や拘束は個人の尊厳を損なう行為で、自他ともに危害が生じない限り「その人らしく…」は行動の自由をうたった憲法13条が保証する基本的人権を有する。一方、妻がほんの少しの時間まどろんで目を離した隙に外出し、事故に遭われた今回の判例は「(介護で疲れた時の)うたた寝すら許されない」とする非情な判決であった。
これに対し、最高裁は「同居する家族だからといって直ちに監督義務者にあたるとはいえない」とし、監督義務を負うかは「介護者の生活や心身の状況、同居の有無や日常的な接触の程度、介護の実態などを総合的に考慮して判断すべきだ」と介護の実情に沿った判断を下した点は大いに評価したい。
この判決により、介護に携わり潜在的に賠償責任を負うリスクを抱える、多くの人々の朗報になった反面、喜んでばかりいられない課題も見えてきた。一つは、認知症者が加害者であった場合である。2012年宮崎県えびの市で認知症者が運転し、児童3人をはねた事故や高速道路を逆走する事例が散見される。これらによる被害者の救済が損なわれることがあってはならない。また、介護施設から徘徊し発生した損害に対し、監督義務者にあたる施設側の責任は家族より重いものが要求されうる可能性がある。成年後見人も同様に監督義務者であるが、規定が厳しすぎると後見人の成り手がなくなるという問題を抱える。
これらの解決方法の一つとして、事故の〝賠償リスク〟に、社会全体で費用を負担する〝公的な救済制度〟があったらと考える。一つは、自動車損害賠償責任(自賠責)保険のように、介護保険財源の中から規定額を被害者に支給する方法。また、犯罪被害者支援のような税金を基盤とした保障制度、そして、最後は民間の損保保険の活用等はどうであろう。
政府は超高齢者時代の現状に、2015年1月認知症対策の総合戦略〝新オレンジプラン〟を打ち出した。高齢者という身体的・精神的弱者が住み慣れた場所で、安心して暮らせる街づくりを目指したい、としている。
本来、今回徘徊中列車にはねられ死亡した男性は〝被害者〟であるはずである。ならば、認知症を含む社会的弱者が安心して暮らせる街づくりとして、踏切をなくし、線路内に構造的に入り込めない新幹線形式のようにすべきであろう。一方、高度成長期に建造された多くの建造物はすでに耐久寿命が来ており、これらインフラの改修時にこのような改変をすべきと考える。街中の通学路の整備は勿論バリアフリー化する。
納得のいく税金の使途において国民は理解を示すものである。国や自治体を動かすのも我々の関心の高さによっている。
この判決が何より注目を集めたのは今現在、認知症に携わり日々苦難を体験されている多くの介護・看護の方々ばかりでなく、団塊世代がすべてが75歳を迎える超高齢者社会に突入する9年後の2025年には、高齢者の5人に1人、約700万人に達すると推計される認知症者の対応に多大な影響がでると考えられたからであった。
民法714条には「判断能力の乏しい認知症者など責任能力のない者が第三者に損害を加えた場合、監督義務者が賠償責任を負う。」と規定し〝被害者救済〟に重きを置いている。これを受けて一審の名古屋地裁では、同居している妻(要介護1)と別居しながらも積極的に介護にかかわっていた長男に対し「監督義務を怠った」と認定し、全額賠償を命じた。これに続く二審の名古屋高裁では、妻のみに監督義務を認め、半額の賠償を命じている。これら二つの判決を受け介護現場には「認知症の高齢者は監禁しておけと言うのか!」や「在宅介護は成り立たない」など、大きな衝撃が広がった。認知症者といえども、監禁や拘束は個人の尊厳を損なう行為で、自他ともに危害が生じない限り「その人らしく…」は行動の自由をうたった憲法13条が保証する基本的人権を有する。一方、妻がほんの少しの時間まどろんで目を離した隙に外出し、事故に遭われた今回の判例は「(介護で疲れた時の)うたた寝すら許されない」とする非情な判決であった。
これに対し、最高裁は「同居する家族だからといって直ちに監督義務者にあたるとはいえない」とし、監督義務を負うかは「介護者の生活や心身の状況、同居の有無や日常的な接触の程度、介護の実態などを総合的に考慮して判断すべきだ」と介護の実情に沿った判断を下した点は大いに評価したい。
この判決により、介護に携わり潜在的に賠償責任を負うリスクを抱える、多くの人々の朗報になった反面、喜んでばかりいられない課題も見えてきた。一つは、認知症者が加害者であった場合である。2012年宮崎県えびの市で認知症者が運転し、児童3人をはねた事故や高速道路を逆走する事例が散見される。これらによる被害者の救済が損なわれることがあってはならない。また、介護施設から徘徊し発生した損害に対し、監督義務者にあたる施設側の責任は家族より重いものが要求されうる可能性がある。成年後見人も同様に監督義務者であるが、規定が厳しすぎると後見人の成り手がなくなるという問題を抱える。
これらの解決方法の一つとして、事故の〝賠償リスク〟に、社会全体で費用を負担する〝公的な救済制度〟があったらと考える。一つは、自動車損害賠償責任(自賠責)保険のように、介護保険財源の中から規定額を被害者に支給する方法。また、犯罪被害者支援のような税金を基盤とした保障制度、そして、最後は民間の損保保険の活用等はどうであろう。
政府は超高齢者時代の現状に、2015年1月認知症対策の総合戦略〝新オレンジプラン〟を打ち出した。高齢者という身体的・精神的弱者が住み慣れた場所で、安心して暮らせる街づくりを目指したい、としている。
本来、今回徘徊中列車にはねられ死亡した男性は〝被害者〟であるはずである。ならば、認知症を含む社会的弱者が安心して暮らせる街づくりとして、踏切をなくし、線路内に構造的に入り込めない新幹線形式のようにすべきであろう。一方、高度成長期に建造された多くの建造物はすでに耐久寿命が来ており、これらインフラの改修時にこのような改変をすべきと考える。街中の通学路の整備は勿論バリアフリー化する。
納得のいく税金の使途において国民は理解を示すものである。国や自治体を動かすのも我々の関心の高さによっている。