論壇
免許証の返納(Driver&Doctor)は難しい
戸田市 福田 純
昨今、高齢者による痛ましい交通事故の報道が目立っている。高齢者になると視力、判断力や運動能力等の低下により重大な事故を起こす要因は増えそうである。そのような事故を起こし易い危険な人は運転すべきでない、との考えでの報道と思える。確かに、死亡事故者数は七五歳以上が突出している。だがこれは高齢者が歩行中もしくは自転車に乗っていた時の被害者としての死亡者数である。
また、高齢者ドライバーの交通事故件数は十年前より1.2倍に増えているが、この間の高齢者免許証保有者数は1.7倍になっており、保有者当たりの事故率は減っている。警察庁の交通事故発生件数や年齢別事故率のデータからは前期高齢者の起こす事故は20歳台の若者より少ない。
明らかに動体視力やとっさの判断力の劣っている高齢ドライバーがそうでない青壮年期の運転者と遜色ない事故率・死亡者数である理由は、長年の経験が起こりうる事故を未然に防いでくれているとの見方もある。
実態とは異なる「高齢者!」との大見出しで、高齢者運転=危険!との思い込みを誘導させているが、これらの報道を受け、免許証の返納者が増えている。高齢者に加え最近、事故を起こした人や運転の必要度が低い、所謂ペーパードライバー(PD)の返納者が多いようである。だがPDが幾ら免許証を返納しても交通の安全には繋がらない。
ならばその意図は何なのであろうか?2011年7月、テレビ受像器「地デジ」問題(アナログからデジタル放送に返還)の際、総務省とTVメーカーが合議し、アナログ受像器を日常必需としていた視聴者は、一方的に見る権利を奪われた。この「地デジ」の時と同じ、〝2匹目のドジョウ〟を狙って、今度は自動車メーカーと結託し計画されている可能性は否めない。過疎地の多くの高齢者は軽自動車に乗っている。これを自動制御や自動運転機能が付いた車に買い替えさせ、限定付き免許を与えて、運転可能にするという目論見である。
一方、道交法が改正され、75歳を超えるドライバーの免許更新時に認知機能検査を行い、認知症が疑われた人は医師の受診を義務づけられ、認知症と診断されると免許証は交付されない。過疎地の高齢者に対して、車は命と生活を守る必需品である。医師に免許取り上げの印籠を渡す役目を転嫁させている。この決断は苦渋を伴う。
事実、認知症と診断され免許証を取り上げられ、その結果受診機会を奪われ、急速に認知症が悪化していった事例があったと、悔恨の情を吐露してくれた医師がいる。
ならばどうするか?人はミスを犯す動物である。それを前提に、ヒューマンエラーをも加味した社会構造を改変することである。高齢者を含む社会的弱者を排除するのではなく、弱者が犠牲にならない街や住環境の整備が真の救済方法であろう。「歩車分離」など車優先社会を政策的に見直す機会にある。
筆者自身、往診や訪問診療などでほぼ毎日、車を運転している。団塊世代の筆者も他人ごとではないと思っているが、夜間の緊急往診の要請もあり、運転免許証の返納は今のところ考えていない。さらに、地域医療を支える多くの開業医の高齢化も進み、これに伴い医師の認知症も増えて来よう。認知症ドライバーに印籠を渡すのも認知症の医師ということにもなりかねない。運転免許証を日々使っている人の返納の難しさが問われているが、運転免許証の返納は、煎じ詰めれば個人とその家族が意思を固めれば返納可能であろう。
ところが、医師の場合、特に1人医療区で長年診療してきた医師が診療を止めるとなると、その日からその地区は無医地区となってしまう。医師個人だけの問題ではない。高齢化が進み、今以上に受療が困難になり、かつその地域は全国的に広域にならんとしている。だが、認知症の医師にそのままその地域の医療を任せておくわけにはいかない。
高齢多死社会を見据えて「人生の最後を住み慣れた場所で」とか、「かかりつけ医を持って」など国や医師会の構想は医療過疎地域では絵空事になるであろう。国は安易に地方へ「地域包括ケア」と称して、さして予算もつけずに〝丸投げ〟して対応しようとしているが、これらを支えるマンパワーは絶対的に不足。また、持続的なシステムは構築でき難い。御上の構想は〝夢のまた夢〟にならんとしている。もう足元まで、待ってはくれない超高齢化社会が近づいているというのに…。
また、高齢者ドライバーの交通事故件数は十年前より1.2倍に増えているが、この間の高齢者免許証保有者数は1.7倍になっており、保有者当たりの事故率は減っている。警察庁の交通事故発生件数や年齢別事故率のデータからは前期高齢者の起こす事故は20歳台の若者より少ない。
明らかに動体視力やとっさの判断力の劣っている高齢ドライバーがそうでない青壮年期の運転者と遜色ない事故率・死亡者数である理由は、長年の経験が起こりうる事故を未然に防いでくれているとの見方もある。
実態とは異なる「高齢者!」との大見出しで、高齢者運転=危険!との思い込みを誘導させているが、これらの報道を受け、免許証の返納者が増えている。高齢者に加え最近、事故を起こした人や運転の必要度が低い、所謂ペーパードライバー(PD)の返納者が多いようである。だがPDが幾ら免許証を返納しても交通の安全には繋がらない。
ならばその意図は何なのであろうか?2011年7月、テレビ受像器「地デジ」問題(アナログからデジタル放送に返還)の際、総務省とTVメーカーが合議し、アナログ受像器を日常必需としていた視聴者は、一方的に見る権利を奪われた。この「地デジ」の時と同じ、〝2匹目のドジョウ〟を狙って、今度は自動車メーカーと結託し計画されている可能性は否めない。過疎地の多くの高齢者は軽自動車に乗っている。これを自動制御や自動運転機能が付いた車に買い替えさせ、限定付き免許を与えて、運転可能にするという目論見である。
一方、道交法が改正され、75歳を超えるドライバーの免許更新時に認知機能検査を行い、認知症が疑われた人は医師の受診を義務づけられ、認知症と診断されると免許証は交付されない。過疎地の高齢者に対して、車は命と生活を守る必需品である。医師に免許取り上げの印籠を渡す役目を転嫁させている。この決断は苦渋を伴う。
事実、認知症と診断され免許証を取り上げられ、その結果受診機会を奪われ、急速に認知症が悪化していった事例があったと、悔恨の情を吐露してくれた医師がいる。
ならばどうするか?人はミスを犯す動物である。それを前提に、ヒューマンエラーをも加味した社会構造を改変することである。高齢者を含む社会的弱者を排除するのではなく、弱者が犠牲にならない街や住環境の整備が真の救済方法であろう。「歩車分離」など車優先社会を政策的に見直す機会にある。
筆者自身、往診や訪問診療などでほぼ毎日、車を運転している。団塊世代の筆者も他人ごとではないと思っているが、夜間の緊急往診の要請もあり、運転免許証の返納は今のところ考えていない。さらに、地域医療を支える多くの開業医の高齢化も進み、これに伴い医師の認知症も増えて来よう。認知症ドライバーに印籠を渡すのも認知症の医師ということにもなりかねない。運転免許証を日々使っている人の返納の難しさが問われているが、運転免許証の返納は、煎じ詰めれば個人とその家族が意思を固めれば返納可能であろう。
ところが、医師の場合、特に1人医療区で長年診療してきた医師が診療を止めるとなると、その日からその地区は無医地区となってしまう。医師個人だけの問題ではない。高齢化が進み、今以上に受療が困難になり、かつその地域は全国的に広域にならんとしている。だが、認知症の医師にそのままその地域の医療を任せておくわけにはいかない。
高齢多死社会を見据えて「人生の最後を住み慣れた場所で」とか、「かかりつけ医を持って」など国や医師会の構想は医療過疎地域では絵空事になるであろう。国は安易に地方へ「地域包括ケア」と称して、さして予算もつけずに〝丸投げ〟して対応しようとしているが、これらを支えるマンパワーは絶対的に不足。また、持続的なシステムは構築でき難い。御上の構想は〝夢のまた夢〟にならんとしている。もう足元まで、待ってはくれない超高齢化社会が近づいているというのに…。