論壇
超高齢社会に思う
富士見市 里村 淳
厚生労働省によると、2025年には高齢者人口は約3,500万人に達すると推計されている。
これまでの高齢化問題は、高齢化の進展の「速さ」の問題であったが、平成27年以降は、高齢化率の「高さ」(=高齢者数の多さ)が問題になるという。当然、認知症高齢者数の増加も予測され、また、65歳以上である高齢者の世帯数も増加すると見込まれる。
2025年には高齢者の世帯の約7割を一人暮らし・高齢夫婦のみ世帯が占めると見込まれる。中でも高齢者の一人暮らし世帯の増加が著しくなるとされている。つまり、国民の4人に1人は高齢者で、街に出るとお年寄りばかり、田舎に行けばお年寄りしかいないという時代が現実のものとなる。
同時に年金、医療費の増加、介護などさまざまな問題が待ち受けている。そのどれをとっても見通しの立たないものばかりである。
最近、定年してから2,000万円の貯蓄が必要という金融庁の報告があった。最初から年金だけでは十分ではないと思っている人も多かったらしく、2,000万円で済むのかという声もきかれたが、マスコミは大騒ぎになった。
年金生活者とはいえ、夫婦で海外旅行を楽しむ人は多く、人気のあるツアーは一杯である。豪華列車の旅は予約が取れない。タンス貯金を含めて、高額の貯蓄のある高齢者は決して少なくない。高齢者は、経済的にはたしかに二極化しているといえる。
医療は一部を除き、どの領域も高齢者の占める割合が増えてきて、老化に伴うさまざまな不安を聴く機会が多くなってきた。
私は精神科という仕事柄、高齢者の「こころ」の問題と向かい合うことが多い。その中でも、老後の不安、孤独に関係した話を聞く機会が多い。どう生きるかは本来、青年期に特徴的なものであるが、今日では、年金世代の悩みでもある。定年後の人生は意外と長く、60歳で定年して90歳まで生きたとすれば、人生の3分の1は定年後のフリーな生活である。
その間を充実して生きるには、重大な病にかからないことはもちろんであるが、趣味とか社交性がものをいう。
仕事だけが生きがいで無趣味という人は、定年後に「ヒマ地獄」を見ることがある。朝からリビングでごろごろしていると、奥さんから「粗大ごみ」と揶揄され、なかには、毎日夫の顔を見るのが苦痛という奥さんもいる。それに対し、多趣味、社交的な人の中には、現役時代よりも忙しく、スケジュールがぎっしりで、なかなか会えない人もいる。
しかし、どんなに元気な人でも齢と共に体力、気力は衰えていくものであり、齢を取るにつれて趣味もだんだん遠のいていくものである。老後の生き方への関心が高まっているせいか、本屋に行くとその手の啓発本がたくさん並んでいる。よいことがたくさん書いてあるが、やはり、上手に齢をとった人から学ぶのが一番である。
老年精神医学で高齢者の心理の権威である柄澤昭秀氏は、80歳半ばを過ぎてから随筆の中で次のように述べている。「長らく老年学研究に携わってきて老年期のメンタルヘルスについて自分ではほぼわかっていたつもりになっていたが、まだまだ不十分であったと今改めて思う。かつて90歳老人、100歳老人を対象とする面接調査を行って、超高齢者と接する機会はあった。その人たちから多くのものを学んだのであるが、今その年齢に近づきつつある自分を改めて振り返ると、自分の老化に対する理解がいかに皮相なものであったか反省させられる」と述べている。
やはり、齢は取ってみなければわからないということなのか。
これまでの高齢化問題は、高齢化の進展の「速さ」の問題であったが、平成27年以降は、高齢化率の「高さ」(=高齢者数の多さ)が問題になるという。当然、認知症高齢者数の増加も予測され、また、65歳以上である高齢者の世帯数も増加すると見込まれる。
2025年には高齢者の世帯の約7割を一人暮らし・高齢夫婦のみ世帯が占めると見込まれる。中でも高齢者の一人暮らし世帯の増加が著しくなるとされている。つまり、国民の4人に1人は高齢者で、街に出るとお年寄りばかり、田舎に行けばお年寄りしかいないという時代が現実のものとなる。
同時に年金、医療費の増加、介護などさまざまな問題が待ち受けている。そのどれをとっても見通しの立たないものばかりである。
最近、定年してから2,000万円の貯蓄が必要という金融庁の報告があった。最初から年金だけでは十分ではないと思っている人も多かったらしく、2,000万円で済むのかという声もきかれたが、マスコミは大騒ぎになった。
年金生活者とはいえ、夫婦で海外旅行を楽しむ人は多く、人気のあるツアーは一杯である。豪華列車の旅は予約が取れない。タンス貯金を含めて、高額の貯蓄のある高齢者は決して少なくない。高齢者は、経済的にはたしかに二極化しているといえる。
医療は一部を除き、どの領域も高齢者の占める割合が増えてきて、老化に伴うさまざまな不安を聴く機会が多くなってきた。
私は精神科という仕事柄、高齢者の「こころ」の問題と向かい合うことが多い。その中でも、老後の不安、孤独に関係した話を聞く機会が多い。どう生きるかは本来、青年期に特徴的なものであるが、今日では、年金世代の悩みでもある。定年後の人生は意外と長く、60歳で定年して90歳まで生きたとすれば、人生の3分の1は定年後のフリーな生活である。
その間を充実して生きるには、重大な病にかからないことはもちろんであるが、趣味とか社交性がものをいう。
仕事だけが生きがいで無趣味という人は、定年後に「ヒマ地獄」を見ることがある。朝からリビングでごろごろしていると、奥さんから「粗大ごみ」と揶揄され、なかには、毎日夫の顔を見るのが苦痛という奥さんもいる。それに対し、多趣味、社交的な人の中には、現役時代よりも忙しく、スケジュールがぎっしりで、なかなか会えない人もいる。
しかし、どんなに元気な人でも齢と共に体力、気力は衰えていくものであり、齢を取るにつれて趣味もだんだん遠のいていくものである。老後の生き方への関心が高まっているせいか、本屋に行くとその手の啓発本がたくさん並んでいる。よいことがたくさん書いてあるが、やはり、上手に齢をとった人から学ぶのが一番である。
老年精神医学で高齢者の心理の権威である柄澤昭秀氏は、80歳半ばを過ぎてから随筆の中で次のように述べている。「長らく老年学研究に携わってきて老年期のメンタルヘルスについて自分ではほぼわかっていたつもりになっていたが、まだまだ不十分であったと今改めて思う。かつて90歳老人、100歳老人を対象とする面接調査を行って、超高齢者と接する機会はあった。その人たちから多くのものを学んだのであるが、今その年齢に近づきつつある自分を改めて振り返ると、自分の老化に対する理解がいかに皮相なものであったか反省させられる」と述べている。
やはり、齢は取ってみなければわからないということなのか。