論壇
福島原発事故から出続けている汚染水の海洋放出について
戸田市 福田 純
福島原発事故当初、放射能を含んだ汚染水の流出が止められず、外洋に流れ出ていた。この事態に、この海域で生計を立てている漁師たちが中心となり、放射性汚染水の海洋流出を阻止すべしと主張、世論も動いた。結果、東京電力もこれに応えざるを得なかった。
そして、引き続き汚染水は毎日400トンもの量が流出していたにも関わらず、2020年に開催される東京オリンピック誘致の際、安倍首相は全世界に事もあろうか福島原発は「under control」と言い放った。これが我が国の首相であることに嘆かわしさを感じたのは私だけではないだろう。
一時的にせよ核に汚染された水が外洋に流出したことで、この海域で採れた魚介類に致命的な風評が立ち、福島の漁師たちはこの風評に必死に耐えつつも、頭の片隅には廃業も覚悟しつつ、砂を噛む思いをしながら毎日、苦渋の生活を余儀なくされてきた。
そんな最中の2019年7月、原発敷地内に溜まりに溜まった100万トン以上となった放射線汚染水を、事故原発のタンク貯蔵場所が手狭になり、デブリ除去等の妨げになるとして、外洋に放出する計画が政府・東電側から出された。今まで多くの風評被害に苛まれ、必死に耐えてきた漁師たちには到底、呑める話しではなかろう。放射能が薄まるからよいという話しにはならない。
我々医療者は高血圧症患者の食事療法に際し、減塩食を指導している。味の濃いものを避け、薄口のものにするよう説明している。その中で、味噌汁が濃いからといってお湯を足し薄めても、それを全部飲んでしまったら同じこと。「薄めればいいってもんじゃない」ことを理解していただいている。「減塩醤油にしたから大丈夫」と思い込んでいた患者たちからは〝目からうろこ〟との表情を垣間見ることができる。塩分を控えるのは〝濃さ〟ではなく〝量〟が問題である点を強調して指導している。
これと同じことが放射能を含んだ汚染水の外洋放出である。「薄まればよい」という話しではないことは小学生でも理解できよう。
そんなことをされたら、この海域で採れた魚介類などの海産物は「誰も買ってくれない」。いくら消費者に〝安全〟を訴えても、これはもはや風評被害とは言えない状況になる。
核に汚染された水が外洋に捨てられ、当初は薄まるがそれをプランクトンが食べ集め、食物連鎖の上位者に凝集され、最終的に連鎖のトップに鎮座する我々ヒトの口に運ばれる。「薄まればよい」とはならない生物界の〝おきて〟が災いする。
「海洋放出しか選択肢はない。蓄積性がないトリチウム水だから問題はない。」と原田前環境大臣はのたまうが信用できる話しではない。「呼吸をするがごとく嘘をつく安倍首相」の閣僚の発言である。多核種除去設備(ALPS:アルプス)でも完全に除去しきれない核汚染物質が残存している汚染水の放出である。これらの核物質を含んだ汚染水の放出により、この海に生きてきた男たちは最高の漁日和でさえ、未来への希望を絶たれた結果、見た目にはきれいな海をうつろな目で眺める日々を過ごすことになるであろう。
毎年夏は来る。だが、核で汚染された海の浜辺や磯に家族と共に、子どもたちが楽し気に遊ぶ姿を見ることはできるだろうか?「こんな海に誰がした…」と嘆いても、もう取り返しがつかない。
かつてトワエモアが歌った〝誰もいない海〟を思い出した。「今はもう秋~♪♪…」だが、秋だけの問題ではない。
そして、引き続き汚染水は毎日400トンもの量が流出していたにも関わらず、2020年に開催される東京オリンピック誘致の際、安倍首相は全世界に事もあろうか福島原発は「under control」と言い放った。これが我が国の首相であることに嘆かわしさを感じたのは私だけではないだろう。
一時的にせよ核に汚染された水が外洋に流出したことで、この海域で採れた魚介類に致命的な風評が立ち、福島の漁師たちはこの風評に必死に耐えつつも、頭の片隅には廃業も覚悟しつつ、砂を噛む思いをしながら毎日、苦渋の生活を余儀なくされてきた。
そんな最中の2019年7月、原発敷地内に溜まりに溜まった100万トン以上となった放射線汚染水を、事故原発のタンク貯蔵場所が手狭になり、デブリ除去等の妨げになるとして、外洋に放出する計画が政府・東電側から出された。今まで多くの風評被害に苛まれ、必死に耐えてきた漁師たちには到底、呑める話しではなかろう。放射能が薄まるからよいという話しにはならない。
我々医療者は高血圧症患者の食事療法に際し、減塩食を指導している。味の濃いものを避け、薄口のものにするよう説明している。その中で、味噌汁が濃いからといってお湯を足し薄めても、それを全部飲んでしまったら同じこと。「薄めればいいってもんじゃない」ことを理解していただいている。「減塩醤油にしたから大丈夫」と思い込んでいた患者たちからは〝目からうろこ〟との表情を垣間見ることができる。塩分を控えるのは〝濃さ〟ではなく〝量〟が問題である点を強調して指導している。
これと同じことが放射能を含んだ汚染水の外洋放出である。「薄まればよい」という話しではないことは小学生でも理解できよう。
そんなことをされたら、この海域で採れた魚介類などの海産物は「誰も買ってくれない」。いくら消費者に〝安全〟を訴えても、これはもはや風評被害とは言えない状況になる。
核に汚染された水が外洋に捨てられ、当初は薄まるがそれをプランクトンが食べ集め、食物連鎖の上位者に凝集され、最終的に連鎖のトップに鎮座する我々ヒトの口に運ばれる。「薄まればよい」とはならない生物界の〝おきて〟が災いする。
「海洋放出しか選択肢はない。蓄積性がないトリチウム水だから問題はない。」と原田前環境大臣はのたまうが信用できる話しではない。「呼吸をするがごとく嘘をつく安倍首相」の閣僚の発言である。多核種除去設備(ALPS:アルプス)でも完全に除去しきれない核汚染物質が残存している汚染水の放出である。これらの核物質を含んだ汚染水の放出により、この海に生きてきた男たちは最高の漁日和でさえ、未来への希望を絶たれた結果、見た目にはきれいな海をうつろな目で眺める日々を過ごすことになるであろう。
毎年夏は来る。だが、核で汚染された海の浜辺や磯に家族と共に、子どもたちが楽し気に遊ぶ姿を見ることはできるだろうか?「こんな海に誰がした…」と嘆いても、もう取り返しがつかない。
かつてトワエモアが歌った〝誰もいない海〟を思い出した。「今はもう秋~♪♪…」だが、秋だけの問題ではない。