拝啓 菅内閣総理大臣様
どうか私たち医療者に生殺与奪の権を与えないで下さい

戸田市 福田 純
 我々医療者はそこに病んだ人がいれば、直ちにその者の許に赴き診療にあたる。義務からではなく、使命として己の持てる力を惜しみなく注ぐ。時に献身的と思われることもある程に。献身は自分を評価し、敬意に包まれている状況であれば、少しの時間なら持続する。しかしながら献身はもろく、壊れやすいものであり、通常長くは続かない。献身を蝕む筆頭は疲れである。休みなく続くストレスフルな、過酷な労働は容赦なく医療者の使命感に襲い掛かる。それでも仲間が一緒であれば、気持ちを奮い立たせることができるが、信頼する仲間が1人、2人と現場を去って行く現状は堪える。先の見えないコロナ禍病棟の日常である。
 入院患者のすべてが救えるわけでないことは理解しているが、中でも肉体的疲労に追い打ちをかける最大のストレスは「命の選別=トリアージ」を強いられることである。提供されている医療を、より適する患者に振り向けざるを得ない状況が日常として散在する。その判断を任せられる度に、医療者は大きく苦悩し傷つく。これが肉体的疲労に加え、心理的葛藤とともに心に突き刺さる。本来、生殺与奪の権利を持たない医療者に否応なく、その判断を課せられる現実が繰り広げられている。
 医療崩壊を「必要な人に必要とされる医療が提供できない状態」と定義するならば、それは既にそこかしこで始まっている。昨春COVID-19流行当初、PCR検査が行えない状況に対して、何度となく保健所と口論となった。保健所は頑なに「37.5度以上の発熱が4日以上続き、渡航歴が……」を主張する融通のなさが口論の主因であった。これが医療破綻の序章であったと考えられる。
 次にPCR検査が陽性であっても、入院できない症例が続出。重症病棟に入院していても人工呼吸器やECMOが諸般の事情(機器の不足やそれらを扱えるスタッフの不足)から装着されない場合もある。呼吸器を装着しても病状の改善が見られない中、救命率が良さそうな新患に、1台しかないECMOの装着外しの決断を迫られる場合は悲惨である。人工呼吸器を外されたものには確実な死が待っているだけである。言わば「未必の故意」への選択である。この様な「死の選別=トリアージ」を医療者はいつまで続けなくてはならないのだろうか。
 一方、国民に移動制限・行動自粛を要請するには生活上、動(働)かざるを得ない人達への配慮(給与補償)がなされなければ片手落ちである。緩い自粛では効果は上がらず、患者数は減らない。自粛要請がいたずらに伸びる結果、経済的苦境にある人はさらなる苦境に立たされる。感染防止は最大の経済対策である。行動自粛に応じないものに罰則規定を設けることが起案されているが、憲法27条を鑑みながら罰則以前に、十分量の経済支援が先である。さすれば、不要不急の外出は激減するはずである。GoTo Travelなど遊興の外出は論外である。
 年初、菅政権の支持率はCOVID-19の対応が不適切と思われ急落した。GoTo事業に軸足を置き過ぎて、緊急事態宣言の発出が遅すぎたとする世論が79%。昨年12月に専門家分科会が政府へ提言した時期から1カ月も遅れた。その結果、年初より感染者数は各地で軒並み過去最高を更新し、医療はひっ迫し、随所で医療崩壊が始まっている。国民には「外出を控え、三密を避け……」と言っていても、菅首相は「経済が最優先課題だ」と述べており、感染症対策に危機感が伝わってこないことが原因と推察できる。非常時を乗り切るリーダーとしての感性がない。
 先日の記者会見でも「これから先の仮定の質問にはお答えできません」と答弁していたが、この発言は危機管理・回避能力・予見能力の欠如を示している。これは一国のリーダーとしての資質を問われる問題である。失政により後世に人災と呼ばれ、国民に多大な被害が出る前に、志向を変えるか退陣するかを判断していただきたい。それがCOVID-19感染者を1人でも少なくする方法である。
 菅内閣総理大臣様「どうかこれ以上私たち医療者に生殺与奪の権を与えないで下さい」  敬具

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