福島原発事故10年
埼玉県保険医協会の初期2年間の取組み回顧

三郷市 大場 敏明
 2011年3月11日の福島原発事故を受けて、埼玉県保険医協会は原発問題に初めて取り組み、6月の第37回定期総会で、脱原発の活動が提起された。
 この総会で、協会理事長に任命された私だが、核廃絶・脱原発の運動は、ライフワークの一つでもあった。大卒直後から被爆者医療にかかわり、核兵器廃絶の運動に参加し、脱原発運動にも取り組んできた。協会理事長の立場になって、協会としての取組み強化と意気込んだものである。記憶を甦らせる意味でも、その後入会された先生方への情報提供としても、原発事故後10年の初期2年間の協会活動を回顧したいと思う。この2年間(2011年~12年)の定期総会(毎年6月開催、37回・38回)議案書から抜粋、紹介する。

37回定期総会
 2011年3月11日に宮城県沖で発生したマグニチュード9.0の大地震は東日本一帯を襲い、太平洋沿岸では巨大津波が広範囲に押し寄せ、戦後最多の犠牲を生みだした。大地震と津波により東京電力の福島第一原発のレベル7という深刻な事故、放射性物質の外部への放出、医療現場にも大きな影響を与えた東京電力による無計画な停電など、未曾有の自然災害に人災が重なり、被害、犠牲は戦後最大級といえる。
 地震当日は県内各所で停電、断水が続発、帰宅できなかった医師・歯科医師も少なくなかった。その後の計画停電では、医療活動に大きな支障を及ぼした。協会は被災者・避難者の窓口負担金などの情報、報酬遅延に関する情報などを速報FAXにて提供、被災地域にあたる他県の保険医協会会員への義援金を呼びかけた。また、さいたまスーパーアリーナの被災者避難所へポケットティッシュ2,000個を提供、救護所では役員有志が医師ボランティアに取り組んだ。
 
38回定期総会
 事故から1年経過しても高濃度の汚染水漏れが続いていた。県内でも三郷などでいわゆる「ホットスポット」が発見された。除染で出た放射性物質を含む土壌などの除去は進まず、収束の見通しも立っていない。荒川などの河口付近の放射性セシウムが大幅に増え、川から東京湾に流れ込む。肥田舜太郎医師が訴えていた内部被曝の問題がクローズアップされた一方で、原子力安全・保安院は再稼働妥当と判断、閣議決定となる。2012年5月時点で、日本の原発は50基全部停止していたが、国民生活に大きな支障はなかった。脱原発・再生エネルギー政策への転換に向けた国民世論が高まり、劇的な世論の変化は海外でも広がり、ドイツ(2022年まで)、スイス(2034年まで)等が脱原発に踏み出した。
 
協会の取組み
 協会の取組みとして、①被災協会への義援金募集、医療ボランティア活動、県内避難者への支援を積極的に行った。「脱原発」の方針を掲げて運動、世論が大きく高まった。
 ②「脱原発」、エネルギー政策の転換、内部被曝の危険性を訴えた。会員対象の講演会「計画停電は要らない」(飯田哲也氏)、市民向け公開講座「原発事故報道でメディアは真実を伝えたのか?」(上杉隆氏)、映画上映会などを開催。「福島の子ども医療費無料化を求める」要望書を提出した。また、全国反核医師の会が主催した「反核医師のつどい」(第22回、2011年11月)が、埼玉で開かれ、初めて原発問題を正面から取り上げた。記念シンポ「放射線被ばくと、医の倫理」などの講演会を会員に紹介した。分科会で、「福島原発事故問題」と「内部被曝」をテーマとした。
 ③被災地への支援活動に協力、避難者への支援、双葉町役場(加須市に避難)に義援金を届けた。避難者の保険診療の取り扱いなどの要請書を総理大臣等に提出。機関紙「埼玉保険医新聞」は、東北大震災、福島原発事故など積極的に報道、4月号では、震災・原発問題等を特集。肥田舜太郎氏インタビュー「我々は原発事故にどう対処すればよいか」や様々な会員の声を掲載し、その後も報道を続けた。
 以来、毎年の総会方針で、脱原発の取組みを継続している。

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