持続可能な皆保険制度への一考(医療が必要な人に届けられるために)

福田 純
 戦後、日本の平均寿命は飛躍的に延伸し、今では男女とも世界トップレベルにある。この要因には食糧事情の改善、衛生環境の整備や医療の進歩などが挙げられる。だが、筆頭は1961年に始まった国民皆保険制度の寄与するところであろう。2011年9月、医学雑誌Lancetが日本特集号「皆保険制度達成から50年」を企画。「いつでも」「どこでも」「誰でも」が安価で一定水準の医療を提供した制度と絶賛。然しながら、その陰に医療者の自己犠牲的献身に支えられた、との視点は抜け落ちていた。
 皆保険制度発足後62年が経過し、設立当初予想だにしなかった状況が噴出し、改変を余儀なくされている。日本では人類の夢だった長寿を手に入れたが、皮肉にも高齢の陰に潜んでいた問題が今、制度の維持を難しくしている。
 まずは疾病構造の変化である。今や日本人の約半数に発症するガン。そして飢餓克服の延長線上にある飽食は糖尿病などの生活習慣病を生み、加えて700万人にもならんとしている認知症や健康寿命と余命の狭間にいる要介護者も増加の一途をたどっている。
 大蔵省(当時)は40年も前から将来の医療費増加を懸念して「医療費亡国論」を展開。手始めに医師数を調整。人口当たりの医師数はOECD平均の3分の2に抑えられ、医師不足が顕在化。いわゆる「3時間待ちの3分診療」はこうした現象が背景にある。
 財務省は増える社会保障費を減らすため、高齢化による自然増を抑制したり、保険料や自己負担割合を上げたり、社会保障に充当するとして、消費税増税を強行した結果、実質賃金は目減りし「失われた30年」という失政を作り出した。
 ここ数年の国民医療費は年間40数兆円に達し、財務省はこれの抑制に腐心してきた中で、あろうことか、新自由(拝金)主義の米国と協調。米国は日本の宝の収奪計画という内政干渉:日本改造計画“年次計画要望書”を毎年提出。郵政民営化を皮切りに、農協解体や皆保険制度の瓦解を画策している。医療保険の収載項目を段階的に減らすことで、国民を民間保険へ誘導する目論みである。自動車保険と同じ構図で、今や自賠責保険だけでは保証が十分でない分、多くの人は民間の自動車保険に加入せざるを得ない。
 一方、最近では一剤数千万~1億円を超える高額な薬の薬価収載が目に付く。税と保険料と自己負担からなる皆保険制度。支出が増える中、自己負担額の引き上げがなされ、昨年には75歳以上の方々(低所得者を除く)の自己負担額の引き上げ2割化が断行された。これによる収入増より該当者の受診抑制を狙っている施策が“イヤらしい”。
 感冒でもコロナ感染でも受診抑制を考えた人は4人に1人、低所得者に多いとの報告がある。中には受診を控え、病をこじらせ亡くなった方も。肺炎による死者は年間12万人。このうち高齢者が95%を超え、その4分の3が誤嚥性で残りの3万人がウイルス性肺疾患である。この方々が初期診療の5~6千円を惜しんだために亡くなったと仮定すれば、これらの医療費総額は1億5千万円となる。高額薬2~3人に費やす金額と同等である。3万人救うのも3人救うのも同じ金額ならば、自己負担増は国民の命を救う政治ではない。高額医療が必要な限られた患者を救う方法は皆保険制度とは別枠で考えるべきである。
 国民が長寿を望み高齢化が続く限り、根本的にこれに伴う医療費増は必然である。かつて、著明な経済学者の宇沢弘文氏が“社会的共通資本”の一翼を成す医療について「経済に医療をあわせるべきでない」と述べておられた。また日本人の健康長寿や良き生活風習が外圧に収奪されることは、是が非でも防がねばならない。
 最後に多くの開業医は学校医を兼務している。ならば学校医が「予防医学や医療制度の仕組み」や「上手な医療の受け方」等の講義を行い、皆保険への理解を育成する。そして、この学生たちが話を家に持ち帰り家族で話し合えば、社会が「無駄を排した医療の有効利用」に努めるようになり、皆保険制度がより持続可能なものになると思われる。

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